40年ほど前のことである。観魚会が東京で催された際のこと、
二日間あって、第一日目は観魚の会、二日目が子魚の会であった。
つまり、親を見て楽しむほうが主だったわけである。
四歳、五歳、六歳の魚がたくさん出品され、三歳魚で優等になるというのはほんのまれであった。
だから、親魚になった本当に立派なものから子を引いたので、系統がはっきりしていたのである。

- 【二歳魚】
- 頭の構成が若干みえだしています

- 【四歳魚】
- まだまだ成長途中の面影を残しています

- 【五歳魚】
- トキンが随分盛り上がってきましたよ
今でも覚えているが、当時「天授」、「籠釣瓶」、「白鶴」といった名魚がいた。
「天授」は当歳のときは小さくて問題にならなかった魚であるが、二歳で見なおし、三歳から四年間大関をとった。また、「白鶴」の子は三歳になってからよくなり、さらにこれから大関が二尾でた。ところで、近年になって、一般の興味が子に移り、当歳にばかり主力をそそぐような傾向になって、無理な育て方をして大きくし、一方、親魚には子魚ほど手をかけないようになっている。どちらかというと、親は子を生ますだけのものというようになっているのである。
最近、ある大会に臨んで一番に感じたことは、親魚の部、二歳魚の部がいかにも貧弱なことで、よい魚が少なく、しかも数も少なくなったことである。
本来金魚は、当歳、二歳、親魚と、だんだんに大きく立派に成長していくのが普通であるし、昔は魚を見れば、これは三歳というようにわかったものであるが、今は大きさもまちまちで、当歳の大きさに比べて二歳、三歳が成長していない。
水替えを激しくするために、ただ大きく肉がのりすぎて、その結果、当歳の名魚が翌年にはもうお目にかかれないということが多いのである。
飼育者のほうも気が短くなったのか、六年も七年も先のことより、その年の秋のことが中心になっていくのであろう。
このような傾向から、ひいては、結果の十分わからない若い親魚の子引きが続くため、短命ともなり、また、大成する魚もだんだんなくなってしまうのである。
よくなる系統というものは、やはり遺伝するものである。なんとか昔にたちかえって、五歳、六歳とよくなっていく親魚から子引きをするというやり方になってほしいものである。
昔は、トキンという金魚があった。はじめに述べた「天授」・「籠釣瓶」などはトキンの面影を残す魚であった。
この型の魚は晩成で、頭も幅もなかなかでてこないが、三、四歳になると、美しいビロードのような粒々のないおまんじゅうを頭の頂にのせて、ハナヒゲもふさふさと大きく立派になる。体形も胴長で、背下りも深く、長持ちにはもってこいの型である。観魚会のはじめごろから30回ごろまでは、この型の魚が大部分を占めていたと思う。
ところが、この系統は子魚のうちは近代型の獅子頭に比べて見劣りすることと、親になってもできてこない魚が多いために、だんだんと飼う人が少なくなった。近代型の獅子頭、ことに、目先の長い獅子頭は、私も大変好きである。
ところが、欠点としてトキンのように長持ちする型が少ないようである。花でいうと早咲きで、しぼむのも早いように思う。
この原因には、やはり最近の傾向である若い親からの子引きや一般に当歳に重点をおきすぎること、審査のやり方にも 関係している。

2005年度日本獅子頭らんちゅう愛好会第5回展覧会に出展された五歳魚
頭部は太神楽の獅子舞の獅子にそっくりで、六歳、七歳に向けて一段と良くなった姿を見たいものである。
トキンと言う魚は成長がほぼ止まった時、頭の丁に乗せたお饅頭が仕上がる性質を持った魚である。
トキンの面影を残し開発された宇野先生の魚は、命を全うするまで成長している素晴しいらんちゅうではなかろうか。
大会魚を目指していた頃は、当歳の秋に見栄えよく仕上がる魚を追い求め、飼育に苦労し、家族に負担を強いていたように思う。
先生のおっしゃっていた素晴らしいお言葉が理解できず年数だけが経っていたのであった。
先生亡き後、自身のふがいなさが、先生の魚を続けていく事ができずに先生の魚から去っていく結果になった。
月日も経って大きな気運に恵まれ、宇田川先生と再会し、いろいろなお話を聞く機会に恵まれ、宇野先生がそこにおられる気がしたものでした。
あつかましい私は、度々先生にお電話し質問をぶつけ、先生を困らせたのかもしれません。
原点に立ち返った今、両先生のお言葉が賢明に浮かんできます。長いランチュウ人生の中で、宇野先生のお考えにそむいた月日がむなしくあります。
残された人生を金魚と純粋に向かい合っていき、宇野先生から宇田川先生に引き継がれ進化したこの金魚を、少しでも間違いのないよう、後世に伝えていく事が、私に出来る両先生の恩返しであると思います。